2013年7月6日土曜日

自殺の実態とその予防

本日はセミナー「自殺の実態とその予防」松本俊彦先生の講演を拝聴させていただいた。

今まで国内における自殺に関する話題は各種マスメディアで取り上げられるものの、自殺の真の実態についてはそれについての誤解や偏見、タブー視されている風潮などより事実を正確に伝えられているとは到底思えなかった。

自殺は、様々な要因が複雑に交絡し起こる事象である。うつ状態は自殺の最終共通経路だが、それに至るまでの要因はメンタルヘルス以外の問題を多く含み、経済困難、多重債務など生活に直結した問題を初め、虐待やいじめなどこども時代における体験、犯罪被害や被災などトラウマの影響を無視できない。自殺は精神健康保健上の問題だけではなく、多角的視点のソーシャルワークの必要性を松本先生は強調されていた。

「ある時を境に何もかも変わってしまった」深刻なトラウマを受けた人々の話である。自死遺族と話す機会があった時に同様の話をうかがった記憶がある。昨日まではいつもどおりの日常であったのに・・・。そして自らを責め続ける毎日。「なぜあの時声をかけられなかったのか」「何もしてやれなかった」。

身近な人の自殺は、自殺企図のハイリスクとなる。生活の拠り所となる存在の喪失を機に、周囲より偏奇の目にさらされ、今まで仲の良かった友人が離れていき心理的孤立を生む。所属感の減少がうつ状態を引き起こし徐々に心理的視野狭窄をもたらし、解決の術を自死という手段でしか考えられなくなる。

私は少年院でいわゆる非行少年の診察をしている。非行少年から語られる「死にたい」気持ちの告白は、もしそれが和らぐのであれば「生きたい」というメッセージでもあろうと感じる。それは、自殺を考えたり実際に図ったことがある少年は多いが、生きるための手段として、苦しみを忘れ解決したいという気持ちから薬物を摂取したり、自傷したりなどすることが多いからである。

そして、少年らとの対話が進むにつれ「死にたくはないけど長生きしたくもない」と話す少年が多いことに気付く。この苦しみは消えることはない、自傷や薬物・アルコール、過食嘔吐、援助交際などの性的接触などあらゆる手段を用いて何とか生き延びてきたがさすがに疲れ果てた、そんな思いを吐露し始める。

生きていて何の意味があるのか、こんな世の中で暮らすなら消えてしまうほうが楽だから、と「生き苦しさ」を訴え続ける少年らに、何と声をかけてよいのか悩み続けていた時期があった。しかし、わかったことは「いつも抱えている思いを聞いてあげる」ということが何よりもの救済になるということだった。

「死にたい」気持ちは同じ内容でも何度も繰り返し伝えてほしいこと、生きていくことをもう少し延長してみること、延長する手段やヒントは対話から得られるかもしれないこと、そんなことを細くても長く続けていくことを「死にたい」気持ちでいっぱいになっている少年らに伝え続けている。

本日の松本先生の講演より、自殺というテーマを「話題にする」「聞く」ことの大切さを再認識できた。
まさに臨場感あふれるライブであり、松本先生の講演が終了した後の何とも言えない高揚感が未だに続きながら、当直業務の最中に日頃の想いを含めた感想を綴っている。

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