2012年3月31日土曜日

「死ななくてよかった」

人を自殺に至らしめる要因の中で、人とのつながりがない感覚、孤立感が常に感情の前面に押し出されてしまっている状況の持続、「所属感の減少」が危険因子の一つであるといわれている。

「所属感の減少」について、例えば境界性パーソナリティー障害をもつ患者の治療において、1回のセッションの時間を長く設けるより、短時間セッションでもいいから予約の間隔を短めにとるほうが、自傷や自殺企図の減少に効果的であるといわれる所以である。
 
自殺念慮が高まっている人への介入として、自殺の是非を議論するより、生きていくことを「延長」しても悪くないものだ、という実感をもってもらうことが大切だと思う。生きていてよかったというより、「死ななくてよかった」と少しばかりでも感じ取れ始めた時、回復が進んでいると評価している。

安定したパートナーシップの構築など、診察外での所属感の回復がなされる状況ができてくると、患者より通院間隔をあけてもよいと提案されるようになる。それまで待つほうがよい。

「死ななくてよかった」と思える時がくる、と伝えても、介入当初はそのことばを受け容れ難く、それは被救済感があまりにも少なかったことに起因 している。どんなにサインを送っても気づかれず、気づかれても無視されたりなど、何も届かないという負の実感が根を下ろしている。

被救済感の乏しさは「生きていても何もいいことはない」「私などいたら迷惑だ」という感覚を付き纏わせるだろう。しかし、繰り返し話を聴いていると、少しずつではあるが「埋まってくる感じ」(と表現されることが多い)を体験できるようになるようだ。それがまさに「所属感」なのだろう。

その「埋まってきた感じ」を保持できるようになると、生死の話題から生活設計の話題へ徐々にシフトしていく。「死ななくてよかった」思いから、「生きていることも悪くない」思いへシフトしつつある、ということである。

そして、日常に散在していた様々な問題が調整解決され始め、語り始めた生活設計が実現されるにつれ、ここで初めて「生きていてよかったのかもしれない」という実感を伴うようになっていく。

治療経過の中で「死ななくてよかったと思えるよ、って言われた意味が分かった気がする」と患者から語られるようになった時、私は、それはまさに人とのつながりの中における「所属感」の証だろうと捉えている。

0 件のコメント: