2011年10月3日月曜日

肥料と水やり

親がこどもを叱るということは、
こどもの行動を変えたい、不適切な行動をやめさせたい、
という思いが前提にあるはず。
しかし、その場ではすぐに変わらないのが、まさにこどもである。

それを理解しないと
感情ばかりが先に立つ怒り方ばかりになり
結局はこどもも変わらず、親も怒ってしまったことで自己嫌悪。
いわゆる「怒り損」になってしまう。

叱るということは
こどもに肥料を与え、水を遣るような作業と考えたほうがよい。

今すぐに花を咲かせようと思うから、いらいらする。
こどもが花を咲かせるのは何十年も先の話。

世に出て、「あの時父ちゃん母ちゃんが言ってたことは、こういうことだったのか」
と気づくようになって初めて、叱られたことの意味を理解できるようになる。

いつか大輪の花をいつか咲かせるだろうと
根気強く、そして、長い目でみた叱り方を、してほしいなと現場より切に願う。

そして、皆が同じ花を咲かせるわけではない。
ひまわり畑をみると、皆同じひまわりではあるけれど、一つ一つをよく見れば
色や背丈それぞれ違う。
同じように育つわけではない。同じにしようなんて思わなくていい。
こどもは、自分が過ごしやすいように、適応できるように自分なりに伸びようとする。
その育ちを、観察し続けることが、親の役目です。

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