2011年7月16日土曜日

「モンペア」と「プライド」

事前情報として、相当こじれてしまった親子の事例、という触れ込みで最近相談を受けた。
いわゆる「モンスターペアレント(通称モンペア)」と呼ばれてしまっているケース。
様々なケースをみているが、正直少々身構えて相談に応じた。

そして、話を伺ってみると、事前情報とは裏腹に、今の悩みを率直に吐露し、時には涙する。
確かに、こどもの学校に対する批判もあるが、正当性も含まれており、事前情報と照合しても決して不条理な内容とは思えなかった。
いったい、何が「モンペア」なのか私にはさっぱり分からなかった。

しばし考えた、「モンペア」と呼ばれてしまった所以を。
要するに、困ってしまった親子の向かう先を、誰も示さないままの状態が続いており、親子が路頭に迷っているだけに思えた。まるで、何もない砂漠の真ん中で張り叫んでいるかのよう・・・。

「モンペア」そう称されてしまった親の多くは、周囲から見放され、諦められ、時に冷たくあしらわれ・・・「モンペアだ」の噂はあっという間に各機関に広まる。
そうされれば、怒りの矛先を様々なところに向けるしかない。
怒りの矛先は、往々にしてこどもに向かう。こどもを厳しく叱りつける毎日、そんなこどもは学校でその悔しさをぶつける。暴言暴力、反抗という形で・・・。
教員はその悔しさをうけとめきれず、ついには排除の道を選択する場合が、残念ながらあるようだ。

こうやって、親子ともどもコミュニティーから孤立してゆく。親は周囲から見放され、こどもは学校で排除され、「めんどうな親子」のタグだけが地域を駆け巡る。誰も手をさしのべようとはしない。

一方、学校側の言い分はどうか?特別支援に携わる教員も、実は途方に暮れていることが多い。親子と同じように、学校で孤立しかやの外であった。他の先生は、見て見ぬふり。管理職は、特別支援の教員の指導不足と決めつける。相談を受けた親子の地域における立ち位置とさほど変わらない感じがする。

私は、お願いをした。特別支援の教員に頭を下げた。
「毎日接している先生のお力が頼りです。どうか、お力お貸しください」
そして、かじ取りをするリーダーが必要なのだろうと感じ、私は手を挙げた。
「全面的にバックアップします」先生に向けて、最後にそうお伝えした。

自尊心(プライド)とは、「譲れないもの、こと」だけではない。
むしろ、それを他者に譲ることのできるその度量である。
私は、学校の先生へのお願いをしたことが、その、自らのプライドだと思っている。

今までを振り返ると、親も子も、「お願いします」と徐々に言えなくなっていた。
教員も周囲に「お願い、頼むよ」と言えなくなっていた。
それは、様々な傷つきから、本当の 「プライド」が擦り減ってしまっていた。
「プライド」を回復させるための、舞台から外されてしまっていた。

親子、先生の旅先案内人、私はそれに手を挙げたことにもちろん後悔などしていない。
むしろ、これからの親子の旅路を、一緒に楽しみたい、そんな気持ちである。

さあ、長旅への出発です。

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