2011年5月21日土曜日

嵐が過ぎ去った後には

外来で診察していると、高校生になるとほとんどの子が、いわゆる「大人っぽく」なっているのを感じる。診察室に入るなり「お世話になります」なって言ってきたりして・・・中学生の頃の様子がまるで嘘のようである。

荒れた思春期を乗り越えた後は、急速に社会性が向上している、そんな印象をもつ。「相当ワルやってたよね」と中学生の頃のエピソードをもちだしたりすると、「それもう勘弁してくださいよ~」「かなり“イタイ”ですよ、それって」と恥ずかしげにほほ笑み、どこかしらたくましくも見えてくる。

「大人っぽく」なっていった子たちに共通するものは何か?それは、大人っぽくなるまで「待ってもらえた」ことだろうと思う。

思春期のこどもたちは、自立に向かってあちこち大きくぶれながら進んでいく。どちらに進んでいいかわからない、引き返そうとしたりする。
そんなブレを見て、親たちは「いったい何やってるのよ」とじれったく思い、そして手出し口出しをつい・・・思春期の子たちが嫌がる干渉である。

こどもたちは、何かやりたい、言いたい、という衝動を「抑制」する力も発達していく。
がまんしたり、一歩引いたり。その能力が高まっていく時期が思春期である。
こんな時に、外部から無理やり抑制し干渉する力が大きく働いてしまうと、本来発達の中で獲得していく抑制力は育まれないだろう。

自立に向かう道のりを歩むにあたって大切なことは、ぶれ幅の補正である。
補正の度合いがきつすぎると、いわゆる人工的な自制心を身に纏わされ、心の奥底で強い衝動をふつふつと煮えたぎらせることになっていく。
そしてその衝動が人工的自制心を突き破り、時には反社会的行為に至る。

荒れた思春期のこどもに、どう接していいかわからない、という相談をしばしば受ける。
私はたいてい「全力で荒れっぷりを受け止め、嵐が過ぎて行くのを待ちましょう」と伝えることにしている。

悪天候で全く前の見えないような思春期。締め付けがきつ過ぎない補正を少しずつ行ってあげながら、嵐が過ぎ去った後には、こどもたちには壮大な景色が広がっているように映るだろう。
「何だか、何すればいいかちょっとわかってきたかも」

若者たちを診ていると、将来の日本はまだまだ捨てたもんじゃないな、大丈夫だな、若者は彼らなりに一生懸命考えていると感じる。
今の自分、明日の自分、そして、社会に巣立って行った時の自分を・・・。

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