2011年5月27日金曜日

宿題やったの?

外来診察では、宿題に関する相談は比較的多い。
「全然やらない」「提出しない」「宿題が出ていることすら忘れている」など・・・。
そもそも宿題の意義とは何であるのか?母の多くが「学力向上のため」と考えているように、外来診察では感じ取れるのだが、本来はそうでないような気がしている。
いわゆる「学力」を高める方法など、宿題でなくてもあるはずだろう。参考書は書店に溢れんばかりに並び、インターネットでも学習法に関する様々な情報を得ることができる。

こどもが宿題を提出しないことに対し、親が怒る。これは一見よくある光景かもしれない。
しかし、なぜ出せないのか、という理由を把握しているかどうか?
ただ忘れているだけ?本当にそうなのだろうか?
親が子に聞くと、曖昧な返答。「出し忘れた」親は激怒。前日にあれだけ何度も言ったのに、なぜ出せないのか、親としては不思議でならない。

ただ忘れていただけではないはずである。何らかの「出せない」理由があるだろうと推察する。
本人にゆっくり話を聞いてみる。
それは、「間違っている答えを書いてあるから」。診察場面で初めて親がその理由を知り驚く。
 
宿題の意義は「提出」することにあると思う。ある課題が与えられ、それを自分なりに遂行し、提出することにより評価を得る。要するに、与えられたタスクに対し、実行→提出→受理という一連の流れを遂行できるかどうか、その作業能力を高めることに意義を見出す必要がある。

そして、宿題を軸にしていろいろと親子の会話の有り様を想像する。
こどものため、というより親自身のため?何か言えないことが親にあるのかな?などと。
親に聞いていくと、親のせいでこどもがダメダメ、って思われたくない、 と・・・。
だれにも言えない、できればこどものことは隠しておきたいこと、と話されることもあり、よく考えるとこどもが宿題を出せない理由と近似していることがわかる。

親の気持ちと子の気持ち、お互いに、「わかってくれよ」と思いつつ、実は思いは一緒。
「恥ずかしくて言えない」のである。

「宿題やったの?」
「全部はやってないけど、出そうと思うよ。分からないのでできなかった、って先生に言う」
「先生にきちんと伝えなさいね」

このような親子の会話ができること、まさにこれも「宿題」の意義だと思います。

0 件のコメント: