2010年8月1日日曜日

「発達障害」という診断

今日から8月、夏本番ですね~暑い暑い・・・。

発達障害(特に高機能型)の臨床では、診断するということは一つのテーマになっているようだ。
20年前のわが国ではその診断概念すら確立されていなかったのが、現在は特別支援教育過熱の影響(?)もあり、診断によってその人の人生が決まるといっていい程の「診断ブーム」を肌で感じる。

現状の精神医学診断はいかがであろうか?
例えばDSMと呼ばれる操作的診断がある。クライテリアに照らし合わせて該当すれば、機械的に「○○障害」という、ある集団に帰属させるための住所番地のようなものが与えられる。
発達障害に特徴的な認知行動特性をクライテリアと照合し、該当すれば自動的に診断される。

さて、「診断」は本質的に人を救うためのものになり得ているのだろうか?
うつ病を例に取ってみる。
ある患者を抑うつと評価したところで、患者は「抑うつ」そのものに困っているわけではない。抑うつは日常の様々なストレスの結果起こる「状態」なのである。
医師は「抑うつ」を治療するのではない。必要なことは、抑うつ状態に至らざるを得ない生活上の苦悩を知り、解決に向けて、その人が本来持っている健全な能力を取り戻すことである。

発達障害においても同じことがいえる。
本人たちはその特性自体に困っているわけでなく、人としての日常の生きづらさ、人とのつきあいづらさに悩んでいる。「生活を診る」という視点がなければ診断する意義はほとんどない。
援助するつもりがなければ、診断など百害あって一利なしである。
「障害」という切れないタグをつけて「あとは頑張れよ」でいいのか?

精神医療の中で、発達障害の診断をできるようになることが、ある一つのステータスとなっているのかもしれない。診断できなかったら、それはまるで「敗北」を意味するかのように・・・。
診断すれば適切な治療ができるという幻想を、捨て去らなくてはならない。
過度の「医学化」が、発達障害の人たちをさらに苦しめる結果となるのを忘れてはいけない。

3 件のコメント:

ゆき さんのコメント...

まさに。私は、だから、心理士という仕事はやりがいがあると思います。
特に私はSCもやっているので、様々な立場から発達障害みられる。学校側は、まず、診断がほしいんですよ。実は。おかしな話なんですが、個別指導計画も、診断名もっているほうがきめ細かい。同じ生活のしずらさをもっていても、やはり保護者の理解という上で(IEPは保護者の共有)、曖昧になってしまう。しかし、病院では、診断や年金のために、判定することが多い。支援のためにつかいたいと思っても、病院のCPではなかなか日常にはいりこめない。しかし、デイケア、ショートステイをもっているクリニック(小児科・発達障害)では、そのあたりも見られるのです。しかし、これも、どうしても、「現場主義」になり、クリニックと併存のデイケアでさえ、うまく連携できずにいます。場当たり的な指導が多いのです。
 診断・治療・査定・支援が一貫でおこなわれるといいなと思います。

匿名 さんのコメント...

そうですねえ。高度の場合、年齢が上がれば自分で学習したりできますので、まず「君の生きづらさは発達障害かも知れない」とヒントをもらうだけでずいぶん違ってくると思います。親も「障害」という言葉にショックを受けるかも知れませんが「どうしてうちの子は?」と思っていた疑問が解消されて、現実に向き合う勇気が出てくる場合も多いのではないかと思います。
「何か変だ」と感じた親の集まりをネット上でやっていますが、来る人あり、去る人あり。診断される人あり、診断が出ない人あり。でも取り敢えず自分だけではないと認識して、子どもができないところを一本調子に責めたり、自分の育児法を後悔したりするのをやめて、素の子どもを見ることができるようになるだけで、変わっていくのはわかります。
私は50にして診断受けて、努力の質が変わって人生これ以上ないというぐらい楽になりました。あの、ゼリーの中を泳いでいるような子ども時代を思うと、今の子はいいなあと思います。
きっと数年後にはまた状況が変わっているのでしょうが、この時点で楽にな子が増えるのはいいことなんじゃないでしょうか。

アキ さんのコメント...

診断をつけるとゆうことは、ある意味レッテル貼りでもあり、必ずしも本人にとってプラスになるとは限りませんものね。arigaさんの仰る通り、「生活を診る」事ができていなければ、「あとは頑張れよ」とゆう無責任な行為になってしまうと思います。特に幼児期では、周囲が真に理解し、適切な支援・援助環境を整えてくれればよいのですが、そうでない場合、その子の“生きづらさ”がより増してしまうことにもなりかねませんから。ですので特に幼児期での診断は慎重に、を心がけていますが、現在、今春小学校就学当初から多動が目立ち、親御さんの方から投薬を希望される上、ご自分でいろいろと調べられたようで、「ストラテラを」と薬種の指定までされるとゆう珍しいパターンの案件を抱えておりまして…。担任・副担任の先生やSCともお話しさせて頂きましたが、私としては現段階での投薬の必要はないのではないかと思っているのですけれど。文末に書かれている通り、診断=適切な治療とゆう幻想、安易な診断によってさらに苦しめる結果になってしまうかもしれないとゆう可能性を、私も含め、生活に困難を抱える方々に関わる全ての支援者達は肝に銘じるべきだと思います。