2010年9月5日日曜日

食べることは生きること

先日、日常の診療現場をちょっと離れて、勉強に行ってきました。
日本摂食・嚥下リハビリテーション学会
今まで参加したことのない学会だったので、興味津々。
何らかの理由で食べられなくなっている人たちへのリハビリ的アプローチ。
職種は歯科医師、言語聴覚士、歯科衛生士が多いようで、精神科医はおそらくほとんどいなかったでしょう(笑)
関心が高まっている分野であり、会場も熱気に満ち溢れていて発表も多数。
しかし、少しだけ気になった点もある。
個人的印象であるが、発表を拝聴していて「食べられなかった人に対して、お口から食べられるように“させてあげた”」ような雰囲気を若干感じることがあり、これは援助者の自己満足に過ぎないのでは・・・と。
機能的回復に特化せず、心理的側面よりのアプローチも必要であることを再認識。いずれにせよ勉強になった。

さて、私たちは「食べること」について、それをすることを日常当たり前のように感じている。
当たり前の中にある喜びや楽しみを感じ取ることを、どこか置き去りにしてしまっている。

日常の中で、食にまつわる話は実は軽視されているのではないだろうか。
例えば、周囲の人へ、昨日の夕食について何を食べたかを聞くと、意外と答えられないものである。
食べたものを忘れるくらいなのだから、食材の食感、のどごし、舌触り、噛みごたえなど、憶えているはずもない。

精神医療の中でも、「食べること」についての諸問題は枚挙に暇がないが、診察上あまり意識されていないような気がしている。
食といってすぐにイメージされる病気は摂食障害であろう。
しかし、実は食べることへの苦悩困難を伴うのは摂食障害という病気だけではない。
うつ病を患うと、味がなく「砂をかんでいるよう」と表現されるように食べること自体が苦痛となっていく人は多い。
統合失調症では、「味が変わった、変なものが入っている」と食への不安が増大することもある。
認知症患者は、先ほど食べたこと、その行為自体を忘却してしまう。
恐怖症の中には「吐いてしまうのではないか」という不安、人前では食べられないという行動範囲の狭小化・・・。
そして、自閉症を代表とする発達障害のこどもたちは、その特性により食べることを嫌いであったり、放棄したりすることがとても多い。

多いのが診察の中で「食欲はありますか?」とステレオタイプな質問を投げかけるだけの問診。しかしその質問で患者の生活を浮彫にはしない。
「食べているときはTVがついているのですか?」「食後は必ずデザートを食べるのですか?」「野菜を取るように心掛けているのでしょうか?」「朝はパンかごはんかどっち派?」「今、いちばん食べたいものは何でしょう?」など、食に対する構え、行動をきくことで、その人の生活状況、そして生活感が露出してくる。
そして食にまつわる話から、食べることだけにとどまらず、料理すること、食後に食器などを片付けること、時には外食へ出かけること、などの行動より「生活観」を想像することができる。

DSMに照合した診断よりも、生活状況に焦点を当てた評価が大切である。
DSMは、1人1人の生活の様子まで描き出さない。

「食べることは生きること」
人生の足跡を、「食べること」からつかんでいく。

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