2009年11月7日土曜日

狙い撃ち

今日は看護師向けの研修会の講師を1日務めてきた。
トータル5時間の演説。
1日中話し続けることって、非日常的だ!

そんなわけで、人って、黙っている時間のほうが圧倒的に長いものなんだ・・・と純粋に感じた。
人は人生の約3分の1を寝て過ごすが、
人が一生に話す時間てどのくらいなんだろう?
1日を考えても、うーん・・・凝縮すると1~2時間程度?
相手の話を聞く時間もあるからもっと少ないだろうか?

そう考えると、あえて話し上手になることに躍起になる必要はないですかね?
私は職業柄ことばを多く用いるので話す時間は多少長いかもしれないが、
たいていの人の日常は、言葉を発さずに何かに取り組んでいる時間のほうが多いのですから。

散弾銃のように(たとえが悪い?)ことばをばらまくことよりも、
ゴルゴ13ではないですが「狙い撃ち」のほうが効果的かもしれない。

この「効果的な」感覚は、非行少年と話をしているときに時に実感できる。

少年らの話にずっと耳を傾ける。いろんな話題が提供される。
多いのは対人関係のやりにくさ、わかってもらえない怒りと絶望感、である。
「あいつがちょーむかつくんですよ。舌打ちとかしやがって・・・私はがまんしてるのに」
「誰に話したってきいてくれねーし」

通常なら、受容と共感を示して・・・「それはつらいよね、よく頑張ってるじゃない」と
声をかけるのがスタンダードであり支援の大前提なので、当然私もそうする。
しかし非行臨床の経験として、そればかりやりすぎるとむしろ逆効果だ、が率直な実感である。
「おまえも他の奴らと同じこといってる、偽善者」と捉えられてしまうのだ。

どこの教科書にも載っていない、非行臨床の私なりの“ツボ”がある。
私は、少年の話が途切れた一瞬に
「でも、きみは、根は“超まじめ”」
と「狙い撃つ」。

このcontextをどう理解しているのかは少年それぞれだろうが、
多くの少年が「フリーズ」するのである。

「・・・そ、そんなことないよ」
私は続けて
「だって、人づきあいちゃんとやりたいって思っているんでしょう?まじめそのものです」
「・・・先生、どうしてわかるの?どうやったら・・・相手に嫌な顔をされないんですか?(涙)」

こんなやり取りが始まると、「よっしゃ!」とつい心が踊ってしまう。
非行少年の大半は、「まじめに生きたい」のである。

ただ、毎回こうはいかない。いわゆる「外す」こともある。
でも、散弾銃は使いたくない。
「狙い撃ち」の感覚を忘れたくないのです。これは非行少年らが教えてくれた大事な感覚。

私は「心のスナイパー」を目指したい。
これってドラゴンズの落合監督のような「オレ流」ですか?

そして、私と向き合ってくれた相手にもまじめに、そして「自分流」に生きて行ってもらいたい。

ああ、こういうのって医療ドラマの見すぎですね^^

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