今日は、いつもの書店通いをやめて、トレーニングジムに。
サラリーマン風の男性、若い女性、体育会系の高校生など、みんな何かを目的に体を動かしている。
私はかれこれ1年以上はろくに運動していないので、このままではメタボまっしぐらである。
最近疲れがとれにくいのだが、やはり運動不足は明白。これはまずい・・・
ランニングマシーンにのって、ひと汗かきますか。
走る時くらいは、何も考えずに黙々と・・・
と思いながらマシーンの速度を上げてゆく。
しかし、考えまいと思っても私の頭はそうはいかないらしい。
このランニングマシーンが、停止ボタンを押しても止まらなかったらどうしよう?降りられなかったらどうしよう?
延々と走り続けなければいけないのか?途中で怖くなるのだろうか?
そもそもこのマシーンに、停止ボタンやスピード調節がついてなかったら、私は走る気になるのだろうか?
これって、もしかして、発達障害の子どもたちが日常的にもつ感覚に似てるのかな?
予測のつきにくいことはとても不安で怖い。
逆に、わかりきっていることでは絶対やらないか、やり続けるかの2択。
そんなことを考えながら20分走り続ける。
発達障害の子どもたちを見ていると、
どうも「止まる」ことや「スピード調節」することが苦手なようである。
何だか“壊れたランニングマシーン”の上に乗っているような、そんな苦しい日常のようだ。
そんなマシーンに乗っかって、もがきながらも走り続ける子どもたちが、私のところにやってくる。
TEACCH中心の支援者たちはこう言うだろうか。
「止まりたかったら、“止めてください”カードを出して知らせましょう」
応用行動分析ではどうだろうか。
「まずは10分走りましょう。走ることができたらほめて、スモールステップで・・・」
私だったら・・・
一緒に走ると思う。
私は不器用なので、そんなことくらいしかできないが
走りながらその空気を共に感じることができたらいい。
そして「もう大丈夫、ひとりで走れるから」と言ってくれるまで一緒に走り続けたい。
「一緒」って安心しませんか?
一緒に頑張ってみると、お互いに笑顔になれる。
子どもたちは「安心」という良質の土壌があって、「自信」という名の根を張れる。
そんなことを、スポーツジムで汗を流しながら考えてみた。
そして、今日のランニング消費総カロリーは
肉まん1個分だって・・・
継続は力なり、しばらく走り続けてみましょうか。
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