2015年3月2日月曜日

反抗挑戦性障害

学校で教員に悪態をつきまくるこどもたちは、常に「見下されてるんじゃないか」と思っているようである。その背景には過去において度重なる叱責を受け続け、親や教員からの強力なコントロール下に置かれていたりしたことが臨床上多い印象を受ける。

だから「叱られてる」と感じると反応的に怒りが湧き上がってくる。結果、暴れて何人もの教員に押さえつけられると、自身の情けなさ、悔しさふがいなさやみっともなさを痛感することになり、余計にキレるだろう。

このようなこどもたちに対し、周囲の大人たちが関わる上で大切なことは、こどもたちの様々な願望があらゆる場面でかなわず途方に暮れていることについて理解することである。


勉強や運動や友達づきあい、そして親との会話など・・・色々あるがどれもうまくいかない理由として「どうやっていいかわからない、やり方がわからなくて諦めるしかないのか」という基底思考が常に渦巻いていることにあるのだろう。

どうしても方法が見出せずわからないことをやらされるのは苦痛であるし、一方でわからないことを認めたくはないために、このような子達はしばしば「めんど くさい」と表現する。「めんどくさい」という言葉を聞いた時、私は「やりかたがわからなくて困った、もう降参」と翻訳して聞くようにしている。
「君も何もかも嫌になって疲れ果てているようだ。うまくいくやり方がわかるようなアイデアをお互い出し合ってはみないか」などと「話し合う余地」を作り、解決に向けてまずはこども主導で推し進めていくことが解決への第一歩になり得るだろうと考えている。

そして、暴れるからやらせることができない、というスタンスではいつになってもこどもが何かを成し遂げる機会が与えられないため、ここは周囲のかかわる大人たちが腹をくくり、本人の強みや持ち味を評価して思い切って任せてみることが必要であろう。

「ここは君に任せてみたい。頼むぞ!」と後押しする周囲の心意気、そして信用が、このタイプのこどもたちに幾ばくかの勇気を与えると信じたい。

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