2011年6月24日金曜日

分かってほしい?

発達障害の啓発として、「みんなに知ってもらいたい」と当事者家族がそれを求める声は、様々なところできかれる。
さて、本人特に小中学生のこどもたちは実際どう思っているのか?本当に知ってほしいと思っているのだろうか?

いったい何を知ってもらいたいのだろう?
親サイドとしては、「我が子は発達障害というハンディを持っている」「決して育児の仕方やこどもの関わり方が原因ではない」ということ。
しかし、こどもサイドとしては、むしろ知られたくないと思っているようだ。なぜならば、これ以上の差別、排除の要因となりそうなものは伏せておきたい、と・・・。

学校教員も、児童生徒にどのように伝えるか、常に気を遣っているようである。悲しいが、知ってもらうこと=理解援助、とは決してなり得ない。むしろ、タグ付けにより不利益を被ってしまう場合も、まだまだ多い現状を感じざるを得ない。

多数派と概ね同じような行動をとれるようになることが、まずは求められる世の中。発達障害を持つ子たちは、少数派として、多数派からの冷たい視線を浴びながら、必死に多数派にとけ込もうとしている。
「自分はおかしくない、障害者じゃない」って言い聞かせながら・・・。

そもそも、小中学生が発達障害のことについて、理解すること自体が難しいのかもしれない。
皆自分のことで精いっぱいで、相手がどんな状態・状況か、という ところまで考えが及ぶ余裕はなさそうだ。外来にくるこどもはもちろん、こどもたちの多くが、余裕なく苦しそうに映るのは気のせいだろうか?

こどもたちの、この余裕のなさを生みだしている要因は何か?
競争社会、資本原理主義の世の中では、少しでも前に出ることが必要であり、他者と足並みをそろえることは、遅れをとることと同義である、と思い込まされてしまう。
皆、他人に構ってなどいられない、のである。

しかし、世に出ると皆少しずつわかってくる。
他の人たちと足並みをそろえることの必要性、重要性を。
結局、一人では何かをなし得ることはできないということも。
こんなことを、発達障害を持つ子たちは、小中学生の頃よりどこか気付き始めているかもしれない、ということを、診察室の中の対話より、ふと感じさせられる。

「僕、みんなの邪魔だけはしたくないんだ」
 

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