2011年5月1日日曜日

育児相談

最近の初診では、こども本人はさほど困っておらず、親が疲弊しているケースが非常に増えている。1年前はこどもも困っていることが多かったが、この違いは何だろう・・・?

1年程前は、こどもが「学校つまんない、行きたくない」としょげた表情でやってくることが多かった。
しかし、最近は「学校?うーん、楽しいよ?」「学校は楽しいけど家がむかつくだけ」
親子関係、家族状況の様相が少しずつ変化しているのか、偶然なのか・・・?

いずれにせよ、診察場面では、我が子をかわいいと思えない、むしろ憎らしいと思ってしまう、どう接したらよいかわからない、こんな私はやっぱりどうかしているのか・・・と涙を流す母親。
親の孤立感が露わになる診察室。

そんな疲弊した母親に、私のところに来る人たちは皆同じような気持ちになっています、と伝えると、どこかしら安堵の表情を浮かべる。「そうなんですか・・・?」

「いつも怒ることしかしていないように思います」
親は、自分の人生の中で体験し培われたフィルターを通して、子を覗こうとする。コントラストの強弱、フォーカス、ピントを合わせようと試みる。どうやっても焦点が合わない時に、きっとこどもを叱ってしまう。

「こどもにどう接したらよいのでしょう?」
この問いに、応えることは容易ではない。「こどもは、どう接して欲しいとおもうか想像しましょうか?あなたがこどもの立場だとしたら・・・?」と投げ返してみることにしている。

「どうして子どもはいうことを聞いてくれないのでしょう?」
いつも同じことの繰り返しであると嘆く母親。こどもが繰り返す、ということは、親も同時に繰り返してやっていることがあるはずでしょう。

「こどもの嘘が多くて腹が立ってくるのです」
本来嘘をつくようになれることは、社会性獲得の発露ともいえるのかもしれない。
しかし、何故嘘をつかねばならないか?多くの場合、嘘をついてもつかなくても、叱責されることがわかってしまっている。本当のことを話して怒られるより、嘘で怒られたほうがこどもにとって は落胆の程度が少なくて済むと感じているからだろう。


「注意を全く無視するんです」
 しかし、嘘をつかねばならない状況があまりにも多い場合、こどもはその後どうなるか?
「黙る」のである。

「最近反抗的だ、思春期ってこういうものですか?」
反抗とは、こどもが自立に向かっているにも関わらず、親が何らかの意図でそれに対して立ちふさいでいる状態。だから、こどもは反抗とは思っておらず、「正当な主張」と思っている。

自立はぶれながら向かっていくが、ぶれ幅があまりにも大きい場合は、親は修正し、時には立ちふさぎ食い止めねばならないこともある。
親も子も、きつい時期であるが何とか乗り越えてもらいたい、と診察の場で願っている。

親も我が子を育てることで、様々なものの見方を学ぶ機会を得ることができます。しかしながら、慌ただしい日々の生活に追われていると、どうしてもものの見方が狭小化し、狭い視野の中の育児になってしまうのは仕方ないことです。
私は「こんな見方はどうでしょう?」と角度を変えた提案を、診察室でしています。

1 件のコメント:

matuochizuko さんのコメント...

親も人間子も人間。ソノ命生み。育てるのが

親とゆうことです。子は人形でもなく。動物

でもないのです。思いどうりにはなりません

あるがまま。そのまま。受け入れて。我が身の

中に。子供に何お求めているのか?そのまま

受け入れて。辛いときは。ドクターに、相談

ポイントを絞ってね・・