2010年3月28日日曜日

非行の真実に迫る

私が非行少年と接するようになり、6年がたった。
当初は何を話してよいのかわからず、逆に気遣いされた記憶が蘇ってくることもある。
しかし、対話を続けているうちに、私なりに彼ら彼女らの行動の真相を掴めてくるようになってきた。
ここで、「非行」について、改めて考え、今までの私の体験より得られたエビデンスを記したい。

幼少期から「あいつは悪い奴」「不良だ」という謂れのない言葉を周囲の大人より冷たく浴びせられた少年らは、「だったらそうなるしかないのか」と歪んだ決心をせざるを得ない状況に追い込まれる。仲が良かった友人も、親よりの“接近禁止令”により離れていってしまう。
「非行少年なんかになりたくない、でもなるしかない」という葛藤の渦にいるが、非行少年になることを決意させる決定的な要因は、親からの一言「これ以上迷惑かけるんじゃない!」・・・

非行少年がみる社会像は、「常に曇り空」である。トラウマティックな体験をcoming outできた瞬間は、「少し晴れる」と表現する。しかし、彼ら彼女らの晴れ間は一瞬である。その一瞬の晴れ間でもいいから日の光を浴びたいという願いは、歪曲した「自己責任論」により無残にも打ち砕かれるのである。「お前が悪いんだ」「自分で何とかするしかないだろ?」それは彼らの胸に鋭く突き刺さる。

その傷を癒す方法は、同じ傷を抱えている同世代を鋭い「嗅覚」で探し出し、相互理解を図ろうとする。
しかし、その理解の仕方は、まさに彼らのやり方である。
それは、暴走行為、アルコールや薬物使用、など・・・。

彼らは社会での「居場所」を必死に探している。慢性的排除の体験の中にありながら、生きていくための居場所を探さねばならない苦労を強いられる。あきらめかけた時は、時に自傷行為や自殺企図を起こす。
非行少年らは「この世から消え去ることができず悔しい」という絶望感を語ることが多い。未来永劫続くかもしれない自分の居場所探しに、疲れ果てているのである。

以上が非行少年との対話を通じた私の体験より導かれたエビデンスである。

まとめてみると、非行少年における共通因子は 
①慢性的孤立無援感 ②強い分離不安 ③社会(本人達から見える大人の世界)に対する不信感、絶望感 が「非行」を規定する。
さらに④知的能力⑤発達障害の併存の有無④性差⑤年齢 などにより「非行」という状態像が修飾される。
特に⑤については、例えばADHDの存在により、その行動が「悪ガキ」「しつけされてない」などのレッテルを貼られる要因となってしまう。
教育心理学の分野で、「あなたは良い子だ」「キミは優秀」という態度や言葉で、子どもがその期待に応えようとする「ピグマリオン効果」の真逆の「ゴーレム効果」というものがあるそうだ。非行少年らはまさにこの「ゴーレム効果」の犠牲者である。

最近、非行少年が語ってくれた言葉で、忘れられない一言がある。
「最近は子どものための公園がなくなっている。遊ぶ場がありませんよね、先生?」
彼は、遊ぶ場どころか、生活の場がなかったのだ・・・。

0 件のコメント: