2010年1月19日火曜日

不登校とトラウマ

不登校・ひきこもりに対する支援は難しい、と感じている関係者は多いであろう。
私もその1人であるが、支援を困難にさせている要因を現場の経験から私なりに検証しようと思う。

不登校というbehaviorを不適応と規定するか、対処と規定するか。視点の違いにより支援は大きく異なる。
私は後者の視点に立って今回は考察してみたい。

まず「不登校のpsychopathologyは自覚的traumatic eventの凍結化にある」という仮説を立ててみることにした。

不登校児の多くは、本人の真実としてのtraumaticな経験を有していることが多い印象である。それは客観的にみるといわゆる狭義の心的外傷、突然の不可避な生命を脅かす圧倒的な体験には該当しない、ハラスメントの類やいじめ体験などである。今後医学的なトラウマの定義が見直されるであろうが、現行のトラウマ概念を前提として議論を進めたい。

traumaが噴き出してくる感覚、いわば“マグマの暴発”、フラッシュバック体験は日常を脅かす強烈なものである。
ここで、行動としてリマインダーに触れぬようにすることを「凍結化」と言い換えてみることにしよう。
(精神医学的には回避、と名付けているが)

不登校児は「凍らせたマグマ」がいつか溶けだすのでは、というとてつもない不安と恐怖の中で、生き抜いている。家の外の“強い日差し”は、彼ら彼女らにとって耐えがたい直射日光である。外部よりの刺激が、内なるマグマを活性化させてしまうかもしれないのである。

周囲がそれを溶かそうとすれば、どうなるか??当然マグマは暴発し始める。それは暴力であったり、自傷であったり、攻撃性としてのbehaviorの露出である。凍結したtraumaが溶けきり露わになった状態で、自らの“警報装置”が破綻した時、それは自死という手段を用いマグマを破壊するといった悲劇になるかもしれない。

「凍らせたマグマ」を溶かして暴発するマグマを捉えよう、捕まえようとするのではなく、今まさに溶けようとして恐怖に怯えている状態を察知しきちんとholdできるかどうか、という視点をもって不登校支援の本質を見出すことが可能ではないか、と考察した。

・・・以上はtwitterでpostした内容を整理したものです。いろんな人から御意見いただけました。臨床活動の視野が広がったような気がします。コメント頂いた方に改めて感謝いたします。

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