2009年10月30日金曜日

診断を告げること

仕事の帰りにある書店に立ち寄った。仕事帰りに書店に寄ることが最近の日課である。
専門書を何気なく手にとって、「立ち読み」していた。
専門書のコーナーはたいていが客が少ないのであるが、今日は何やら熱心に本を探している中年男性が1人。
すると、男性から声をかけられた。

「あの・・・ちょっとよろしいでしょうか?」

私は少々驚きながら「はい?」と返事をした。

「以前、児童相談所でうちの子を診てもらった先生ですよね?」

正直、どんな子を診たかはその瞬間パッと思い出せなかったが、何となく、その中年男性の顔立ちは覚えていた。「そうでしたか・・・」

「先生に、自閉症と診断されてから、子どものことをもう一度考えたんです。今まで行っていた幼稚園をやめて、自閉症の子どもが行っている園に変えました」

この瞬間、私の行為により、ある一家の生活を激変させたという事実に直面した。

診断を告げること、それは子どものみならず、両親にも大きくのしかかる「タグ」となる。
臨床の場面において、「タグ」をつけることの意義や重要性は知識的に理解しているはずであった。

中年男性は続けてこう話した。
「園を変えましたら、今までできなかったことが少しずつできるようになってきたんです。自分でごはんが食べられるようになったり、お昼寝できるようになったり」

それはよかったですね、と医師らしくなく(きっとそうだったに違いない)返した。

「先生に自閉症と告げられた時は正直ショックで頭が真っ白になりました。でも、あの時に告げられてなかったら今でも気付かずに、同じ園に通わせていたと思います。子どもに、できるだけのことをしてあげたいんです。後悔したくありませんから・・・本当にありがとうございました」
私は少々恥ずかしかった。
「とても、うれしいです。」とだけしか言葉を返すことができなかった。

そして、中年男性は「ことばのおくれ」というタイトルの本を手にしていた。
そのまま「失礼します」と男性は去って行った。
私は男性に向かって一礼し、心の中で「ありがとうございます」と叫んだ。

私にとって、未知の体験だった。心が動かされるとは、このようなことなんだ・・・。

診断告知、その行為はさまざまな意味で重い。
私にとっては何百人といる患者家族の中の1人であるかもしれないが、
中年男性にとって私は誰に代わるものでもない、重要な存在であったのだ。
そのことを、忘れかけていた。

今日の体験から、私は医師として、人として、その重みを忘れないだろう。

書店を出ると、いつもより空気が澄んでいるようだった。