2013年12月30日月曜日

今年1年を振り返り

本日は日当直。翌朝の当直明けをもって今年の仕事納めとなる。
この1年を振り返り、色んなこどもたちに出会った。
試行錯誤のケアの中で、私も様々なことを知り学ぶことができたと感じている。
何を知り学んだか、雑駁ではあるがまとめておきたい。

外来にやってくるこどもたちの多くは「発達障害」であることを悩んでいるのではなく、
「ともだちにいじめられたりからかわれる」
「いつも怒られる」
「分かっていることを何度もいわれる」
「自分の話をきいてくれない」
など、自分の気持ちを「わかってもらえない」ことに悩んでいる。

おとなとこどもの悩みにはかなりの相違がある。
例えば、親はこどもが「勉強しないこと」について悩んでいるが
こどもは親に「勉強しろと言われ続けてウザい」ということに悩んでいる。
親は将来のことを見据えた悩みであるのに対し、こどもはまさに「今でしょ」の悩みであること。

問題とみなされる様々な行動言動の背景には、たくさんの「話せない」「話したくない」悩み事が隠れている。
叱られっぱなしのこどもたちは、いつも行動で評価比較されることに激しい憤りと悔しさを抱えていることが多い。
きっとこどもたちは「誰も信用できない」「信じた俺がバカだった」「いちいちうるさい大人たちばかりでウザい」と対人不信の真っ只中にいるであろう。


悩めるこどもたちのこころの中には、今にも砕けそうなグラスが存在している。
その中にとめどなく注がれるストレスの水。今にも溢れそうで常に表面張力で踏ん張っているかのようである。
ある時に、一滴そこに水が注がれると、瞬く間にそれは漏れ出し怒りと悔しさ、悲しみの洪水の中で苦悩する。一度溢れだしたらもう止められない。そしてグラスは砕け散る。

療育を受けているからといって必ずしも社会適応がよくなるわけではない。
療育で相談するスキルをせっかく身につけても、周囲が話を聞かず「相手にされなければ」結局人を頼れず孤立する。
療育で知ったこと、学んだこと、悩んだことなどを、まずは親や頼れる大人たちとああだこうだと言い合えることが何よりも大切なこと。
療育とは、世知辛い世の中で生きていかねばならないための「処世術」の冒頭部分と考えてほしい。
世に出てからの生活のほうが圧倒的に長いという現実。
療育で学んだり培ったりしたことは、社会に巣立ってから様々な経験を積み、いわゆる社会性を肉付けするための「骨」の部分であるという理解。

以上は、臨床経験に基づく私見である。

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