2012年8月18日土曜日

思春期臨床~若者の自殺

思春期臨床では、初診時のこどもたちに「悩みはあるか」と問いかけても、「別にないです」と即答されることが多い。これは、悩むこと自体を「恥」と思う価値観が思春期に表面化するからである。思春期のこどもたちは、悩んでいるなんて暗いと思われる、知れたら孤立するなどの思いが錯綜している。

「悩んでよい」という価値が置かれている場では、思春期の若者は少しずつ語りだす。「明るい」ことが最も価値あることという場では、悩みを回避またはないものとみなしてしまう。最も回避したいのは「孤立」なのである。

悩みなどない、と診察中は一点張りだった思春期の若者は、ふとした瞬間に悩みのかけらを落としていく。診察を終え、診察室から出ていく際に、私に聞いてほしいかのように「あ~あ、学校めんどくせ」と漏らしたりする。診察に来るたびに、少しずつ、ポロポロと、落としていく。

こどもが悩みのかけらを落としていった時には、「そっか」と返すのみにしている。ここで「○○したらどう?」と提案などすれば、思春期のこどもたちはもう、かけらを落としてくれなくなる。

思春期臨床は、特に初学者は、思春期特有の難しさのためか、言語能力の未成熟さや自我機能の脆弱さなどという心理学的側面にアプローチしがちになる。それよりもまず、こどもたちに「悩んでもよい」許容空間をつくってあげるこ と。見くびってはいけない、思春期のこどもたちは結構話せるし、自分なりの思いを伝えられる。

悩みの許容空間では、思春期のこどもたちならではのことばで、一生懸命伝えてくれる。「超うざくないっすか学校の先生って?」「友達関係めんどいんだけど・・・」耳を傾ければ次々とかけらを落としてくれる。  

そして、「もう、生きていたくない」という重大なかけらを落としていく若者と出逢う。

若者の自殺。「死にたい」というよりも「消えてなくなってしまいたい」という気持ちであること。自殺という手段をとったら、家族に絶対迷惑がかかる、死んだあとまで嫌な思いをさせたくないという気持ちで思いとどまっていたりする。

消えてしまいたい衝動に駆られているこどもたちは、とにかく追い詰められていること。行き止まりにぶち当たってしまっていること。世の中に何も期待していないこと。信じることとは裏切られること・・・。

「長生きしたくない」と語るこどもたち、それは、虐待、いじめなど、深刻な心の傷を負ったこどもたち。積極的に自らの寿命を縮めることはせずとも、長生きは全く望んでいない。それは、やはり、この世に何も期待することがないと確信してしまっているからであろう。

診療の中では「カラオケボックス的に、生きていくのを1年延長しても悪くはないと思う」などと伝える。「死ぬな」ではなく「生きるのをちょいと先延ばししていい」というメッセージのほうが響く。「止められる」より「生きることを延長する」ことを後押しするほうが、若者には響く気がする。

「・・・延長か。それも悪くないかも」
そんな返答をする少年たちの不安げな表情の中に、どこか安堵の表情が入り混じる瞬間を、見逃さない。  

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