2009年11月13日金曜日

自立の意味

先日、私の勤務する診療所の勉強会で
TEACCHプログラム啓発用のDVDをスタッフと鑑賞した。

私が説明するまでもないが、TEACCHとは
アメリカノースカロライナ州で展開され始めた、全州規模の自閉症支援理念であり、
「構造化」という視点から自閉症の人たちの全人的サポート、自立を目指す包括的プログラムである。

自閉症を中心とする発達障害の人たちは、その特性に応じた個別プログラムが用意される。
生活環境の時間的・空間的構造化、教育や就労支援プログラム、コンサルテーションなど・・・。
優れたプログラムであることは間違いない。

DVDを観賞しながらふと頭の中にわき上がったことを記したい。

TEACCHの理念の一つである「自立」であるが、
最近この「自立」という定義を履き違えて捉えている支援者が少なからずいることに気づかされる。

「他人がいなくとも生きていけるように」という解釈のもと、TEACCHプログラムを受けられることがよいことだ、あなたのためですよ、と言わんばかりの支援が横行する。
「連携」という言葉を用いては、自らの支援の範疇外と思えばよそへ丸投げ、責任所在の確認という名のもとに存在する押し付け合い、が発生する。

当事者は「自立」を強制的に求められ、他者に依存することを否定され、孤立を強いられる。
相互扶助という世界からは排除され、無力感とともに生きていく。
そして支援者はいつしか「傍観者」となってゆく。

もう一度、自立の意味を考えてみよう。
主体性な自立を求めるためには、主体性を発揮することが困難な発達障害の人たちにどう寄り添うべきか??
その答えは、当事者である彼ら彼女らの中にある。
DVDの中に答えはない。

(なお、この文章の一部は、発達障害臨床の第一人者である田中康雄氏の著書「軽度発達障害」の一部を引用した。 深謝します。)

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