2013年10月22日火曜日

高齢知的障害者の健康と医療

明日は神奈川県の某知的障害者施設で高齢知的障害者の健康と医療に関する研修会で講演を行ってくる。

重度知的障害者の高齢化問題は医療・福祉ともに喫緊の課題である。身体精神機能が低下し、介護上の負担が急増、家族や介護スタッフが慢性疲弊状態に陥っている事態に、何も打つ手がないという現状である。

現職に就く前は大学病院に勤務していた。大学病院で重度知的障害者を診察する機会は多くはなかったが、数人の障害者を診察していたのを覚えている。そして、当事者の家族がいつも「本当にありがとうございます。感謝しております」と丁重に頭を下げられていたことを思い出す。

重度知的障害者の家族が皆、そこまで頭を下げられることについて、現職に就いた今になってようやく分かった。診察を受けられる機会があまりにも少なかったということを。幼少期から診察している小児科医が成人になっても継続して診察していることも度々耳にする。

重度知的障害者を病院に連れて行くのはやはり一苦労である。例えば、入るなり奇声を発し走り回る。何とか診察室に入ってもじっと座っていられず診察にならないことも多い。採血を初めとする諸検査も施行することができない。侵襲的な治療は全身麻酔下で施行しなければならないこともしばしばある。家族はその都度頭を下げてお詫びし、治療を受けさせてもらえるよう嘆願しているのである。

重度知的障害者の診療について、基幹病院から入院治療を断られ、心ある開業医に往診してもらいながら在宅で何とか介護するしかないことも少なくない。状態の異変に家族が気づき、何とか病院へ連れて行き頼み込んで検査を受けたら既にガンのターミナルステージであったということも・・・。

知的障害者の施設においても高齢化に伴う医療アクセスの様々な困難を抱えている。様々な理由でアクセスが阻害されてしまう。1人の障害者を受診させるのにスタッフ3人配置が必要となれば、現場の支援員が足りなくなる。大幅に勤務シフトを入れ替えねばならないこともあり、管理職も四苦八苦する。

診療機能を備えていない多くの民間知的障害者施設では、医療ケアができないとの理由で、身体疾患合併をしている障害者を退所させざるを得ない状況に追い込まれる場合もある。しかし、どの病院も介護施設も受け入れを拒み、行く場を失う。まさに八方ふさがりな状況があちこちで聞かれるようになっている。

当事者家族は自治体の障害福祉課に何度も頭を下げて受け入れ施設を探してもらうよう頼み込んでいる。行政も多方面に働きかけるがなかなか良い返事を頂けない。

知的障害者当事者の家族も年をとり、介護するにも限界がやってくる。グループホームやケアホームの新設があちこちで始まっているが、どこも既に予約で埋まっている。そして、入所後に身体疾患や認知症の罹患・・・世話人では対応しきれず結局堂々巡りな現状は続く。

現在の勤務先で診療を始め「とにかく診てもらえる病院や診療所はないかと探し回りようやく巡り合った。途方に暮れていた毎日の中で、何とか先が見える気がする。私たちは先に逝ってしまう。この子をどうか宜しくお願い致します」と多くの当事者家族より感謝と期待のお言葉を頂き、複雑な思いに駆られてしまう日々の臨床である。

多くの社会資源がある中で、そこに届かない人たちが数多くいる。ニーズはあるのに利用すらできない。身体疾患が重病であるがために施設生活を送ることができない人たち・・・居場所探しはいつまで続くのだろうか。私もその答えを未だ見つけることができないでいる。

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