2013年1月14日月曜日

教員体罰問題より考える~アスリート学生の苦悩~

大阪の高校生が自殺したという報道が連日のようにあり
部活の顧問の体罰が背景に・・・という情報が繰り返し伝えられている。
教員の体罰、そしてアスリート学生の苦悩を臨床経験も含めて綴ってみたい。
 
教員による体罰について。高校生を自殺たらしめた要因は体罰が直接原因か?
もちろん、体罰は圧倒的な支配下を前提とした、無条件降伏を余儀なくされる、著しく歪曲した行為であり正当化されるものではない。
自殺という悲劇の結果は、究極的に追い詰められた状況からの救済が断絶されたことだろう。

自殺した高校生は幾度となくSOSを発信していたはずである。
それはことばではなく表情や態度、身なり、行動など・・・。
それに気がつかれなかったもしくは無視されていた、という事実がどこかに存在していたはずで、
この現実がまさに悲劇的なことである。

自殺した高校生について、限定的な少ない情報から高校生の心情を思い巡らせて見る。
主将としての責任を果たせていない情けなさ、 学業は・・・きっと身が入らず焦っていたかもしれない。友人関係も、どこかぎくしゃくしてはいなかったか?
情報が限定的なので推測に過ぎないが、あらゆる面での行き詰まり、八方ふさがりを強く感じていたのでないだろうか。
究極的に追いやられた状況になった高校生は、何十発も顧問に殴られたことが引き金となり「もう、俺は何の価値もない、だめだみっともない」という自己肯定感が押しつぶされた思考感情が一気に前景化したのかもしれない。

命が失われてしまってからでは遅い。若者が追い詰められた状況になれば、誰でも必ず一度はSOS発信をする。それを見逃さず軽視せず、速やかに救済したい。

私的経験であるが、全国レベルで活躍するアスリート高校生を何人か担当し診察したことがある。
多くが抑うつ状態で追い詰められた状況にあった。
共通事項として周囲の大人の「見栄」が多くの例で認められた。
休部もしくは退部せざるを得ないと伝えると 「この子にはこれしかない!」と言い張る関係者。
こどもはうつむいたまま。

疲弊したアスリート高校生たちは、今振り返ると」私にすがるような眼差しを向けていたようだった。
周囲の関係者の都合や見栄により、行く手を四方八方塞がれてしまっていたのだろう。

こどもに対してどこも逃げ場のない状況を作り上げていく周囲の大人たち。
「期待」という暗黙のプレッシャーを突き付ける。こどもはそれに応えねばならないという焦り。
体罰も初めのうちは「どうして殴られなければ」という思いから徐々に「殴られて当然だ」。
やがて心も体も痛みを感じなくなっていく。

教員による常態化した体罰は、こどもたちを「殴られて当然だ」という歪んだ認知にさせてゆくだろう。それがさらに体罰の正当化を促進していく。
教員の度重なる一喝そして平手打ちは、周囲に対しても「そりゃそうだよな」って思わせる恐ろしい空気が漂う。その空気は「あって当たり前」。

こどもが生きていけるための進んでいける道は、本来無数に広がっているはず。
大人のつまらぬ虚栄心で、その道を塞がないで欲しい。

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